誕生

幼少時

1973年11月13日
金木家の長男として誕生。

幼稚園に入る前からかなりの問題児だったらしく、
ご近所皆で広場に植えたチューリップの球根を
次の日に全部掘り起こしてしまったり、
公園のすべり台の上から〇〇〇〇したりと
やりたい放題。

事故に合い入院したこともあったそうです。

あまりのヤンチャさに母親が困り
児童相談所へよく相談に行っていたようで、
その相談所で言われた


「この子はもっと広いところで育てなさい」


川崎市から自然あふれる横須賀へ引っ越すことに。

しかし横須賀で幼稚園に上がっても落ち着くことはなく、
自転車に乗れるようになり行動範囲が広がると
暴走を繰り返して、ついにはコンクリートの壁に激突!

腕を骨折する大怪我を負い、
2度の手術を受けました。

余談ですが当時から今まで、
骨折した左腕での腕相撲では負けた記憶がありません。

その時のリハビリの成果なのでしょうか(笑)

スポーツに熱中した少年時代

野球少年時代

近所に新しく完成したばかりの小学校へ入学。

毎年クラス替えのたびに好きな女の子が変わるという、
坊主頭のお調子者(笑)

2年生になると、
町内のソフトボールチームに入り熱中。

私の世代は第二次ベビーブームで、
子どもがうじゃうじゃいるという時代。

それでも持ち前の運動神経が功を奏し、
4年生で5番ファーストのレギュラーの座を獲得し
チームの優勝にも貢献することができました。

そんな体験から中学校の部活動は、
自然と野球部を選択。

当時は今の時代とは違い、
ウサギ飛びや先輩のシゴキ、
水飲み禁止など過酷な練習環境。

脱落者も出る中、
根性でくらいつき頑張った結果、
5番ショートでレギュラーを獲得。

3年生の時には県大会出場も果たしました。

その後の人生につながる

青年時代

野球に没頭した中学校を卒業し、
高校には入学したものの、
学校生活に馴染めず停学の連発。

友達との遊びやバイトばかりの日々。

横浜スタジアムでビール売りのバイトをしたり、
焼肉屋のバイトではカルビクッパなど作っていました。
土木工事現場や電話配線のバイト、
自動車部品工場などの肉体労働など、
色々なバイトを経験しました。

そんな中、長期休暇で始めた大工のバイトが自分の人生を変えることに。

そのころ好きだったアーティストの "尾崎豊 "の歌詞、


" サラリーマンにはなりたかねえ! "


に影響を受けたのか、
普通に会社員になるという道を嫌い、
この大工のバイトがきっかけとなって、


大工になろう!


と決意。

高校を無事?卒業後に
大工の修業の道を歩み始めました。

つらかった修行の日々

大工時代

入社前は優しかった親方が、
仕事が始まると人が変わったかのように厳しい人に。


食べて無くなるものでなく


使って捨てるものでなく


家はずっとそこに残るもの


" 衣食住 " の住まいは


家族を守り生活を支える場所


目に見えなくなるところもしっかり取り組め!


まだ十代だった私は、
毎日毎日よく怒られました。

電動工具が主流の作業内容のなか、
見習いの私は電動工具禁止!

太い梁材や柱などを加工するにも全て手作業、
丸ノコなどは使わせてもらえず、
ひたすらノコギリとノミ(材木をきざむ彫刻刀の親分みたいなもの)
で手作業、両手ともマメだらけでした。

右手に玄能(げんのうと読みます、カナヅチのこと)、
左手にノミ。

手元が狂い、玄能で何度も左手を叩き
いつも腫れ上がっていました。

でも今思うと、


その時の経験が私の足元を支えてくれている


そう感じています。

たぶん、無人島でもノコギリとノミと玄能があれば
ひとりで家をつくれると思います!笑

大工としての誇りを受け継ぐ

金木建築創業

5年間の修行を終え独立。

1998年に金木建築を創業。

創業したとはいえ、
初めからそんなに上手くいくはずもなく、
仕事はもっぱら下請け工事ばかり。

でもその中で、


飛騨高山の合掌造りの移築


を請け負う工務店との出会いがありました。

その工務店は、
世界遺産に認定されて今では解体することが出来ない、
白川郷の合掌造りの建物を世界遺産認定前に
何棟も解体してストックしており、

日本全国はもとより、
ハワイや南米などにも移築している工務店でした。

お客様より新築工事を受注すると、
まず解体してストックしてある
合掌造りの骨組みを岐阜の作業場で組み立てます。

これは実際に新築を建てるように柱を立て、
梁を架け築200年の家を一度、復元します。

柱の間隔や梁組みを採寸したり、
材料の傷み具合や仕口(しくちと読みます、柱と梁などをつなぐホゾやアリ、カマなどの事)の確認、
そして新たに必要な部屋などの柱や梁を墨付け加工し、
全てをまた解体します。

そしてその全ての材料を新たな土地に運搬し、そこに建てます。

そのような移築の仕事の中で、
私は仲間の大工と4人で下宿生活をしながら、
吉祥寺に移築する現場を担当しました。

昔の囲炉裏のけむりでいぶされた真っ黒な梁は、
大柄な私が両手で抱えても全然届かない直径80cm以上。

幾重にも重なった梁や燻製した竹、
真っ白な漆喰などが調和し、
まさに芸術品のようでした。

そんな先人達の知恵や技術に触れたことによって、


大工としての誇りを受け継いだ


そんな気になれました。

創和ハウジングとして新たな一歩

創和ハウジングに生まれ変わり、仲間も増えました

下請け仕事ばかりだったところから、
少しずつ直接お客様より受注を頂けるようになり、
思い切って会社を法人化することに決めました。


和み(なごみ)を創る家づくりをしたい


との想いから、


「創和ハウジング」


と命名。

大工として一緒に働いてくれていた仲間達を社員に迎え、
新たな道を歩み始めました。

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